
グッチとは…1921年にイタリアのフィレンツェに生まれた高級革製品を取り扱い、現在はサンローランやバレンシアガ、ブシュロンなどが加盟するケリンググループに所属しているブランドである。
最近オールドグッチが流行になり、世界中のセレブからファッショニスタまで愛用者の多いグッチ。
オールド調のアイテムから最新作まで幅広く愛されております。
幅広く愛されていながらもハイブランドの中ではデザイナーの就任で話題となったり、ニュースにならないことがないグッチ。
今回はそんなグッチのデザイナーについて詳しく説明していきたいと思います。
グッチの過去を知りたい方、これからを知りたい方はぜひ最後までご覧ください。
1 GUCCI一族によるデザイン時代
1章ではグッチの創設期からご説明させていただきます。
グッチは元々一族経営を行っており、デザイナーもGUCCI一族が就任しておりました。どのデザイナーが発表したアイテムも全て人気が出ており、昔からグッチのアイテムはセレブに人気の高いアイテムでした。
そんな一族で経営していたグッチですが、主に4名のグッチによって語られていきます。
- 創設者グッチオ・グッチ
- 2代目アルド・グッチ
- 3代目パオロ・グッチ
- 4代目マウリツィオ・グッチ
この4名がどんな人物でどのようなアイテムを発表していたのか掘り下げていきましょう。
1-1 GUCCIの原点【創設者グッチオ・グッチ】馬車柄をモチーフにスタート
出典:wiki
創設者グッチオ・グッチによりグッチの歴史がスタートします。
現在では革鞄だけでなく、時計、ジュエリー、プレタポルテなど幅広い事業を展開しておりますが、元々革鞄専門店として創設しました。
今ではPVC素材(塩化ビニール)を使用しておりますが、当時のグッチは革の素材にとにかく拘りを持ってカバン旁をしておりました。今でもグッチのピグスキンを使用しているアイテムが存在しておりますが、この頃に使用されていた素材で、グッチの特徴ともいえる素材の一つとなっております。また、ピグスキンの他には竹の持ち手であるバンブーシリーズが登場します。
これらが登場したのには“第二次世界大戦”が影響しております。
第二次世界大戦では皮革は統制品として指定され、革製品の製造が出来なくなってしまいます。革製品をメイン商品として取り扱いしていたグッチでは今までに使用していた素材が使えなくなってしまい、革製品の使用料を少なくする苦肉の策として、日本から輸入した竹で作ったバンブーシリーズを作りました。
また、ピグスキンが誕生したのは戦後の革製品不足を補うために考案されたもので、一般的にピグスキンというと豚革を指しますが、グッチでは耐久性を高めるためにイノシシの革を使用しました。
イノシシの皮通常のピグスキンと比べて丈夫で長持ちすることもあり、大流行しグッチの代表アイテムとなりました。
【グッチオ・グッチが生んだアイテム】
グッチオ・グッチが生んだアイテム(デザイン)についてご説明させていただきます。グッチオ・グッチが生んだアイテムは上記で説明した、ピグスキン、バンブーシリーズの他にシェリーライン、ジャッキーバッグ(カンヌキタイプの鍵)などが有名です。
◆ピグスキン
ピグスキンはイノシシの皮を使用したアイテムでとても固く丈夫なの事が特徴で、固いと言いつつも肌触りは柔らかく高級感が強くセレブに人気が高いアイテムです。
◆バンブーシリーズ
出典:reclo
バンブーシリーズの特徴はその取っ手にあります。革ではなく竹を使用したモデルです。竹を使用したモデルは特徴的で人気が高く、オールドグッチのシリーズの中でもとても人気が高いです。
◆シェリーライン
出典:rococo
シェリーラインは当時のグッチを代表する最も有名なデザインです。赤と青のカラーが特徴的なラインで、このラインが入ってるとグッチということが分かるくらいには人気が出て認知度が高いです。
現在では復刻品があったり、プレタポルテのデザインに使用されており、人気が高いアイテムが多いです。
もしもグッチが欲しい場合にはオールドグッチであればシェリーラインを選ぶと間違いないです。
◆ジャッキーバッグ
ジャッキーバッグはカンヌキ型の鍵を使用したモデルで、他のモデルにはないデザインでおしゃれなポイントとなっており、ファッションが好きな女性に人気が高いアイテムです。現在でも復刻品が出ているのですが、シェリーラインの方が人気が高いため若干影が薄いです。
1-2) 2代目GUCCI【アルド・グッチ】GGロゴを採用
出典:hydrogold
二人目のグッチはアルド・グッチです。初代グッチの3人の子供のうち、最も人をまとめるのが上手で兄弟の中でも中心にいた人物です。
彼が作ったデザインの中で最も有名なのはGGマークです。元々のグッチは馬車柄模様が採用されており、デザインは現在のアイテムよりも少しごちゃごちゃしておりました。
そのなかシンプルなデザインとして登場したのがGGマークです。このGGマークは現在でも採用されており、グッチの中で最も多いデザインと言えます。そんな彼ですが、デザインよりも新規開拓に大きく影響を与えた人物ですので、そちらに着目してお伝えさせていただきます。
【アルド・グッチがGUCCIに与えた影響】
まず初めに行ったことは海外進出です。
ニューヨークにGUCCI1号店を出店し、ローヒールのモカシンを発売します。このモカシンがニューヨーク中で大流行し、年間2万足以上の販売を記録しました。
当時は高級層でセレブに愛されているブランドイメージがついていたグッチですが、このニューヨーク進出をきっかけに富裕層から一般層にまで顧客層を広げることに成功しました。
この大流行はアメリカ大統領のジョン・F・ケネディにも認められ、アルド・グッチは駐米イタリア大使と称されました。そしてこの大流行したモカシンはニューヨーク近代美術館に永久コレクションされました。
続いて行ったことが女性顧客へのアプローチ強化です。
ニューヨークで大流行したモカシンにより大量の女性客を獲得したGUCCI。
女性客を安定させるために行ったことは
- 香水事業
- 時計事業
この二つになります。
現在では両社とも革事業に勝るとも劣らないくらい有名な事業で、今のGUCCIを支えてくれている事業です。
特に時計では女性のみでなく男性にも選ばれており、大成功と言える事業でしょう。また、グッチの時計はファッションブランド時計でスイス初の時計と言われており、ファッションブランド時計の最先端を牽引しております。
1-3) 3代目GUCCI【パオロ・グッチ】レディースプレタポルテを充実からの暴走
続いてのGUCCIは異端児のパオロ・グッチです。
彼はプレタポルテ事業を開始し、現在におけるプレタポルテを作った人物です。元々は女性向けプレタポルテ事業を開始し、大成功を収めます。
パオロ・グッチはエレガントなGUCCIをセレブ層だけでなく、色んな人に着て欲しいという願いがあり、グッチのコンセプトとは真逆の考えを持っている方でした。
当時、パオロ・グッチの他にロドルフォ・グッチというもう一人のデザイナーがいました。ロドルフォ・グッチはアルド・グッチの兄弟に当たる人間でパオロ・グッチの叔父にあたる人物です。
なぜこのような人物の話を始めるのか・・・それはパオロ・グッチの「色んな人に着て欲しい」という低価格帯を出そうとする思想と、ラグジュアリーなGUCCIを展開したいというロドルフォ・グッチの戦いが始まるからです。
当時社長だったアルドは自身の息子であるパオロ・グッチに対して、GUCCIアメリカ副社長に就任させます。この就任を不服に思ったロドルフォ・グッチが、パオロが担当するフィレンツェの工場の職務不履行を理由にGUCCI本社から解雇するのです。
この解雇によりイタリアに自分の居場所をなくしてしまったパオロ・グッチは暴走を始めます。
パオロ・グッチはオリジナルブランド“パオロ・グッチ”を創業し、大量生産したアイテムをスーパーマーケットなどの量販店で販売しようとします。これに怒ったGUCCI一族がパオロをGUCCIから追放したのです。
この追放を機にパオロ・グッチの生産をハイチで開始するのですが、グッチのコピー品制作にも手を出してしまいました。
元々デザイナーとして人気で才能も高いパオロ・グッチですが、行動にかなり問題があり、人物像としてはかなり歪んでいる人格を持っている人だったようです。
パオロ・グッチ問題の渦中、パオロ・グッチはGUCCIのデザイナーに一度戻りますが、行動制限が多く、パオロ・グッチが抱いている「低価格対で売りたいという」思考がかなわないことと、この思想の危険性からまた解雇されてしまったのです。
1-4) 4代目GUCCI【マウリツィオ・グッチ】ミラノで大成功ブランドの近代化
混沌が訪れている中4代目GUCCIとして起用されたのがマウリツィオ・グッチです。マウリツィオ・グッチはパウロ・グッチをGUCCIから追い出したロドルフォ・グッチの息子にあたる人物です。
彼の功績はプレタポルテ事業をさらに伸ばしたことによる成長と、革新的なデザインによる新顧客の獲得です。プレタポルテ事業では既存アイテムをより良くデザインし、女性顧客層へさらなるアピールを行います。
ミラノで新たなデザイナー『ルチアーノ・ソプラーニ』を引き入れ行ったミラノコレクションでは大成功をおさめました。
しかし大成功を収めたマウリツィオ・グッチですが、この人物もパオロ・グッチと同じくGUCCIにカオスを持ち込みます。
GUCCIブランドは一族経営と言いながらもアルド・グッチの兄弟でそれぞれ別の活動をしており、統一感もなくこの状況を良くないと思ったマウリツィオはロドルフォから受け継いだGUCCI株で合わせて50%以上の株を入手し、代表のアルドを社長から辞任に追い込み、マウリツィオがGUCCI一族のトップに立ちます。
こうしてグッチに平和が訪れるかと思いきや、マウリツィオ・グッチが暗殺され、GUCCI一族の経営が終わります。
※詳細は『オールドグッチの人気を紐解くグッチの歴史と人気の秘密。』にて
1章ではGUCCI一族の経営、人物像について迫っていきました。
まさか暗殺で終わるなんて思ってもいないですよね。数ある高級ブランドのなかでもかなりドラマに長けており、掘ったら掘った分だけいろんな話が出てきます。
このGUCCI騒動は映画化もされる予定ですので、興味がある方はぜひ見に行ってみてください。
次章からはついに近代編として近年活躍していた2名のデザイナーについて語っていきましょう。
2 GUCCI復活の立役者【トムフォード】
出典:wiki
名前: | トム・フォード(Tom Ford) |
生年月日: | 1961年8月27日 |
出身地: | アメリカ合衆国/テキサス州 |
職業: | ファッションデザイナー/映画監督 |
着任期間: | 1990年~2004年 |
1990年にGUCCIのデザイナーとして就職し、1994年にはクリエイティブディレクターに就任。2000年にはGUCCIの統括をしながらイブ・サンローランやケリング内のGUCCIグループのディレクターを務めました。
グッチを退任後は2009年に『シングルマン』で映画監督デビュー。2016年に発表した『ノクタール・アニマルズ』ではマイケル・シャノンが第89回アカデミー賞助演男優賞にノミネートされました。
彼がGUCCIで行った功績はGUCCIのブランドイメージを復活させたことにあります。
パオロ・グッチによる安価なイメージ、マウリツィオ・グッチの暗殺によるイメージの低下。このGUCCIにとって最低ともいえるイメージの払拭を行ったのがトム・フォードです。
2-1 ロックなスタイルで大成功!フォードスタイルを確立
トム・フォードと言えばロックスタイルなデザインで他ブランドとの差別化です。
今までラグジュアリー層に向けて発表していたグッチですが、今までのイメージとは全く異なるロックなスタイルを発表。もちろん反対意見もありましたが、結果を先に伝えておくと大成功となりました。
大成功を導いたのは世界の歌姫であるマドンナや実力派女優のケイト・ウィンスレットが愛用し、世界中のセレブがこぞって着用し、一気に話題が広まったのです。
成功された秘訣はセレブが愛用しただけではなく、その広告戦略にもあります。
元々ラグジュアリーでモダンなイメージが強かったグッチによる正反対のロックスタイルを提案することで世間にギャップで魅了し、ファッションショーに於いてはロックやミュージカルのような演出を使用したことで印象を強く残すことが出来ました。
また、店舗展開に於いてはトム・フォードが店舗デザイン、広告、販売員の服装などをすべて指示し、統一感を持たせました。全てをフォードが展開したことでブランドイメージを統一させることが出来たため『グッチはロックなスタイル』と伝わるまで時間がかからずすぐに一般層にまで広まりました。
そしてラグジュアリーでモダンなイメージが大きいGUCCIがロックスタイルへと変貌し、このスタイルはフォードスタイルと呼ばれるようになったのです。
2-2 フォードが生んだGUCCIを代表するレザージャケット
出典:楽天市場
トム・フォード期と言えば革ジャンです。トム・フォードのアイテムと言うととにかくセクシーを追求し、あと一歩で下品とまで言われるくらいに攻めに攻めたアイテムが多く、とても多くの人を魅了してきました。
これらのアイテムはトムフォードの幻の名作とも言われ、数十年経った今でも5万円前後で取引されております。
3 GUCCIのこれからを担い、セレブに愛され続ける【アレッサンドロ・ミケーレ】
出典:hypebeast
名前: | アレッサンドロ・ミケーレ |
生年月日: | 1972年11月25日 |
出身地: | イタリア/ロンドン |
職業: | ファッションデザイナー |
着任期間: | 2002年~ |
ブランド業界に長い人なら名前くらいは聞いたことあるのではないでしょうか?
2002年にグッチのデザイナーに就任し、2004年にトムフォード退陣につきアレッサンドロ・ミケーレがクリエイティブディレクターに就任します。
彼はイタリア出身のファッションデザイナーで、過去には世界で最も影響力の一人に選ばれ、GUCCIブランドイメージを定着させた人です。
このアレッサンドロ・ミケーレが就任したのはロックスタイルで人気が出始めたアイテムをさらに有名にするために、新たなるデザインに挑戦します。
それがアレッサンドロ・ミケーレが提案したアメカジスタイルです。
3-1 アメカジスタイルのグッチを提案!ファッション業界は大荒れ
アレッサンドロ・ミケーレが提案したのはアメカジスタイルです。トム・フォードがロックでセクシーなスタイルでしたが、アレッサンドロ・ミケーレはアメカジスタイルでGUCCIを展開します。
もちろんトムフォードのデザイナーが定着していたグッチには猛反発の声が寄せられたのですが、このアメカジスタイルは結果人気となり、現代のグッチのスタイルに定着しました。
アメカジスタイルの中でも最も人気なアイテムは日本の刺繍を採用したスカジャンです。日本の刺繍を使用したスカジャンは良くも悪くも“ハイブランド”が出すようなアイテムではありませんでした。
しかしスカジャンをGUCCIが出したことでLouis Vuittonなどハイブランドと差別化をすることが出来ました。
このような差別化をすることにより既存のGUCCI好きな顧客だけでなく、今までGUCCIに興味のない人間にまでアプロ―チをかけることに成功しました。
ただアレッサンドロ・ミケーレがGUCCIで行った改革はアメカジスタイルだけでなくクラシカルなスタイルを復活させたのです。
3-2 過去のスタイルを復活!世界のセレブが愛用し始める
いわゆるオールドグッチと呼ばれているスタイルです。
オールドグッチとは1980年以前にGUCCI一族により作られたアイテムのことを指し、クラシカルなデザインが好きな人に人気なアイテムです。
アレッサンドロ・ミケーレが発表したのがこのクラシカルなデザインを踏襲したタイプのプレタポルテです。
色がどぎつくデザインが古臭く、着る人が着たらとてもダサいデザインのTシャツです。これをASAP Rockyが愛用し、インターネットで拡散、その日にはこのアイテムは完売となったのです。
日本では三代目 j soul brothersの今市隆二さんがオールドグッチのTシャツを着用し、若い人に人気が出ました。
特に帽子は中古品であれば安く購入することができるため、比較的所持している人数が多いアイテムとなりました、日本ではスカジャンはあまり有名にはなりませんでしたが、このクラシカルなデザインのオールドグッチはかなり人気となり、現在でも愛用している人が多く存在しております。
出典:アメブロ
また、プレタポルテだけでなく、カバンや財布などの小物もとても可愛らしいものが多く、男性のみではなく女性にも強い人気があります。
出典:Instagram
このようなデザインは一見古臭いのですが、ワンポイントとしてシェリーラインが入っていることによりとてもかわいらしく染まりました。
もちろんもっとシンプルなタイプも存在しております。そんなアレッサンドロ・ミケーレが出したアイテムについては次章で名作としてご紹介させていただきます。
3-3 アレッサンドロ・ミケーレが生んだ名作4選
◆GUCCIロゴ オーバーサイズ コットン Tシャツ
出典:GUCCI
価格:71,500円
◆ウォッシュド Tシャツ ドナルドダックモチーフ
出典:GUCCI
中古相場:70,000円
◆GUCCI ロゴ コットン スウェットシャツ
出典:GUCCI
価格:133,100円
◆GGジャカード コットン ジャケット
出典:GUCCI
価格:182,600円
アレッサンドロ・ミケーレと言えばアメカジ+クラシカルなスタイルです。
昔のグッチで流行していたシェリーラインを復刻したことにより人気が爆発しました。
カジュアル路線ではディズニーとコラボしてある意味“GUCCIっぽさ”を感じないアイテムとして、普段ハイブランドのプレタポルテを愛用しない人達も魅了していきました。
アレッサンドロ・ミケーレはまだまだ現役のデザイナーですのでこれからの活躍に期待ですね♪
まとめ
今回はグッチのデザイナーについてご紹介させていただきましたが、いかがでしたでしょうか?
グッチのデザイナーも他ブランドと同じで変わるたびにデザインも新調され、良くも悪くも新たなブランドへと生まれ変わります。
次のグッチになるのはまだまだ先ではありますが、次どのようなデザイナーが就任するのかとても楽しみですね。
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