
常にロックなスタイルを提供しているエディスリマン。
エディと言うとDIORやサンローランのイメージがかなり強いですが、2019年にレディースアイテムをメインに発売しているCELINEのクリエイティブディレクターに着任したことでかなり話題となりました。
エディスリマンって色んなブランドでデザイナーになっているけど実際にはどのような人物なのか分からない人が多いかと思います。
そこで今回はエディスリマンについて詳しくお話していきたいと思います。
目次
1 エディスリマンってそもそもどんな人なの?まずはプロフィール紹介
フルネーム | エディスリマン(Hedi Slimane) |
生年月日 | 1968年7月5日 |
生まれ | フランス パリ19区 |
国籍 | フランス |
職業 | ファッションデザイナー,写真家 |
最終学歴 | ルーブル美術学校 |
1968年7月5日にパリ19区にてチュニジア系の父親とイタリア系の母親の間にエディスリマンは誕生します。
エディは幼少期を生地に囲まれ育ちます。母の両親はイタリアのペスカーラで洋服の仕立て屋を運営していたこともあり、エディの母親も洋服の扱いはかなり上手で、パターンを取らずにジャケットの直しも行うことが出来ました。
生地に囲まれて育ったエディですが、11歳になると写真に興味を示し、この頃からカメラを手にし色んな写真を撮っていたようです。
日本の高校に当たる学校はパリ政治学院に進学しました。このパリ政治学院は「QS世界大学ランキング」の政治部門で世界三位の実力を持っている学校です。もっと分かりやすく言うと東京大学や慶応義塾大学と二重学位協定を、京都大学、早稲田大学、一橋大学などの大学と国際交流きょうていを結んでおり、世界各国約150国から留学生が集まる“超”名門校です。
政治学院は日本の高校とは性質が若干異なり、勉学は当然ながら、仕事に特化した授業などもおこないます。エディスリマンはこの学校に通っていたということは、頭が良いことは分かるのですが、ファッションの道に進まなかった場合には政治家になっていた可能性もあるということですね。
さて、そんな天才エディスリマンですがどのように洋服と関わってきたのでしょうか。
次章でもっと掘り下げてみましょう。
2 天才デザイナーエディスリマンの歩み
ここからはエディスリマンの人物について掘り下げて迫っていきましょう。
天才、鬼才、秀才など様々な呼ばれ方をしているエディスリマンがどのような人生を歩んできたのか…。
まずは10代のエディスリマンからお話させていただきます。
2-1 名門高校を卒業しルーブル美術学校に入学
エディスリマンの服作りは16歳から始まります。エディスリマンは細身で当時「似合う服が自分にない」と言う理由から服作りを始めます。全く新しい服を作るというよりか古着やミリタリーウェアを購入してリメイクしていたようです。
16歳と言うとまだパリ政治学院に在学中の時の話ですね。当然ながら服飾の教育を受けていないため、完全なる独学で服作りを行います。パターン無しでジャケットの直しが出来るくらい母が服に詳しかったので、母親に習いつつ洋服の勉強もしていたのでしょう。
政治学院を卒業後はルーブル美術学校で美術と美術史を専攻しました。服飾関係の学校に行くのかと思いきや美術を専攻して驚きですね。あくまで想像ですが、学校では美術で慣性や歴史背景を、服飾は独学と母から学び、それをデザインやエディスリマンのもう一つの顔である写真に生かしているのだと思います。
エディスリマンはかなり頭がよく要領よく行動が出来るので、学校でしか学べないことは学校で、実務は別のところで勉強していたのでしょう。
2-2 フランスのファッションブランドJose Levyでデザイナーデビュー
出典:Jose Levy
大学を卒業1990年からフランスのファッションブランドであるJose Levy(ジョゼ・レヴィ)にてファッション業界のキャリアをスタートさせます。
ジョゼ・レヴィでは1992年にはファッションディレクターを務め、2年度にはフランスファッションの重鎮であるジャン・ジャック・ピカールのアシスタントとして活動を始めます。
…ジャン・ジャック・ピカールは2015年に全線から引退しましたが、引退する前はLVMH(Louis Vuitton、、モエ、ヘネシーなどのグループ企業)の会長であるベルナール・アルノー(Bernard Arnault)のアドバイザーを務めていた人物です。過去には元エルメスのデザイナーであるクリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)、PRADAグループのデザイナーを務めていたジル・サンダー(Jil Sander)、ジバンシィのディレクターを務めていたリカルド・ティッシ(Riccardo Tisci)などの才能を開花させたことで有名な人物です。
そんな偉大な人物のアシスタントを3年間務めたエディスリマンは1997年にサンローランのディレクターに就任します。
2-3 イブサンローランのディレクターに就任 知名度が爆発的に伸びる
1997年に一度目のサンローランのディレクターに就任します。ジャン・ジャック・ピカールの元でアシスタントをしていたエディスリマンは服飾業界では知名度があったのですが、一般人には知名度はほとんどないデザイナーでした。そんな中エディスリマンに名前を売れるチャンスが到来します。
エディスリマンが担当したのはジーンズラインです。サンローランのジーンズラインと言うと名作と知られており、現在のサンローランを代表するアイテムでもあります。
しかし長く着任すると思いきやサンローランがGUCCIグループに買収されると同時にサンローランのディレクターを退任してしまいます。
2-4 ディオールオムのディレクターに就任 カリスマデザイナーと呼ばれる
サンローランに退任した後、2000年にディオールオム(現:DIOR)のクリエイティブディレクターに就任します。エディスリマンが大きく活躍をし始めるのはこの時期からになります。
エディスリマンがディオールオムで何をしたのかと一言でお伝えすると、ディオールオムのメンズラインを世界で最も注目されるメンズラインまで成長させました。
ディオールには元々ディオールムッシュと言うメンズラインがあったのですが、いまいちパっとしないラインでした。
エディがディオールオムのデザイナーに着任すると今までのデザインを一新し、黒を基調にしたレザーのタキシード、ジャケット、スキニーパンツなどをコレクションで発表します。現在でもそうですが、当時のメンズファッションはストリート系が主流だったので、ファッション業界に進撃が走りました。
細身のシルエットのデザインは瞬く間に人気が出始めて、デザイナー界の皇帝と言われているカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)が着用したいがために“42kg”もの減量を果たします。
この伝説はディオールオムの人気にさらに火をつけ、世界各国でディオールオムのブームが起こりました。
エディスリマンと言うとディオールオムの印象が強かったり、逆にディオールオムは細身のロックなスタイルの印象が強い方も多いのではないでしょうか?彼はディオールオムのイメージすら作ってしまうくらい影響力があり、それほど良い作品を出し続けたのです。
また、エディスリマンと言えばロックなスタイルのイメージが強いのですが、それはデザインだけでなく、音楽もロック好きとして知られております。
当時ディオールオムのラインをミック・ジャガー、ブライアン・フェリー、エルトン・ジョン、ブラッド・@イット、オーランド・ブルームなどの超有名人がかなり好んで愛用していたこともあり人気はぐんぐん加速していきます。
メンズウェアにロックスタイルと言う新たな扉を開け、世界中に名前が広まったエディスリマンですが、7年の時を経てディオールオムのクリエイティブディレクターを辞任します。
コレだけ話題となったので『自身のブランドを立ち上げるのか?』と思われていたのですが、フォトグラファーに転身し、ひと時の間デザイナー業界から去っていきます。
◆フォトグラファーとしてのエディスリマン
一旦デザイナーから離れてエディスリマンのプライベートついて迫っていきましょう。
エディスリマンがカメラを扱いだしたのは11歳の頃です。フォトグラファーに転身したのは39歳の頃、写真に興味を示してから28年後ですね。デザイン家業に疲れでフォトグラファーになったわけではなく、彼が元々やりたかったことの一つとしてフォトグラファーがあったのかもしれません。
彼が撮影する写真は音楽性に長けているアイテムたちです。特に有名な人物を撮影するのではなく、無名なインディーズバンドを好んで撮影していたようです。
どのようなモノを撮影していたのでしょうか?
まずは彼の作品をいくつか見てみましょう。
出典:hedislimane
出典:hedislimane
出典:hedislimane
エディスリマンの撮影したアイテムはすべてHPで確認することが出来るのですが、どれを見てもエディスリマンの特徴が出ており、エディスリマンを象徴するような写真です。ロックで少年のようなスタイル。とてもカッコいい写真だと私は思います。
2-5 サンローランのディレクターに再就任 サンローランに革命をもたらす
さて、話はデザイナーに戻ります。
2007年にフォトグラファーに転身したエディスリマンですが、5年後の2012年にサンローランのデザイナーとして業界に舞い戻ってきます。
ただ、普通に戻ったわけではありません。
この頃のエディスリマンはディオールオムでの成功から大物デザイナーとしての地位を気付き上げていたので、サンローランに戻るにあたり数々の要求をしたのです。
- YSLをなくしメンズラインとして『サンローラン パリ』を作る
- キャンペーン広告の撮影はエディ自身が行う
- コレクションに『バイカージャケット(ライダースジャケット)』『ミリタリーパーカー』『ミニスカート』『ブーツ』などを加える
当時のサンローランはラグジュアリーブランドとしての信念があり、バイカージャケットなどのアイテムを加えることはかなり抵抗があったそうです。良い意味でも悪い意味でもサンローランのイメージがガラッと変わってしまいますからね…。
結果どうなったかと言うと売り上げは前年比30%アップ、グループ企業内ではトップを争うくらい業績は急成長しました。
エディスリマンの功績は売り上げアップだけでは終わりません。当時のサンローランと言うと創設者イブサンローランが作ったイメージと前任者ステファノ・ピラーティの作ったイメージにより、ラグジュアリー層のみが興味を示すブランドでした。
それがエディスリマンと言う強烈な個性により、今までのラグジュアリー層だけでなく、ファッションをこよなく愛す層、ディオールオムでエディスリマンのデザインを好んで着用していた層など新たな顧客層の獲得が出来たのです。
今までのファンが去ったのかと言うとそういうわけではありません。ラグジュアリー層はYSLが好きな層が多く、特に女性のファンが多かったのです。プレタポルテ事業の売り上げは下がることなく、それ以外の事業にも影響が出ない、そのためにメンズラインとして『サンローラン パリ』を作ったのかも知れませんね。
そしてエディスリマンは2016年にサンローランを去ります。
実はこの頃のエディスリマンはサンローランの親会社でもあるグッチグループに自社ブランド立ち上げの交渉を行われておりました。結果は交渉決裂に終わったのですが、エディスリマンの退任と共に『オリジナルブランドの立ち上げか?』とかなり話題となったのです。
2-6 CELINEのディレクターに就任
話題となった2年後の2018年にエディスリマンはデザイナー業界に舞い戻ってきます。
戻ってきた場所はウィメンズブランドとして名高いセリーヌです。
CELINEは過去に一度もメンズコレクションを出したことがなかったので、世界中のオシャレな人たちの話題となっていました。
どのようなデザインになったのかと言うと…、やはりエディ節炸裂のロックスタイルで発表されました。これには過去のCELINEを好きだった層からは叩かれ、エディスリマンのファンからは「ついに来たか」というような声が溢れ、賛否両論となりました。
あくまで個人的な意見なのですが、CELINEはLVMHグループ(Louis Vuittonやモエ、ヘネシーなどのグループ企業)に入っているブランドなので、定価がかなり高くなってしまい、とても残念に感じました。
デザインはサンローランとほぼ変わらないので、正直な話中古でサンローラン購入した方が良いのでは…?
CELINEを始めたい!というような方はサングラスや財布などの小物からスタートして、CELINEみたいな洋服を着たい!という方はサンローランやDIORの中古を購入した方が良いと私は思っています。
しかし、革命を起こしてきた天才デザイナーなので今後の期待は大きいです!CELINEでしか見れないエディ節を発揮するところを私は期待しております。
3 アイテムとブランド別で見るエディスリマンの名作シリーズたち!
人物については分かったけどアイテムはどのようなものがあるのか知りたい!
と言う疑問も多いかと思いますので、エディスリマンの名作をまとめさせていただきました。
サンローランのアイテムは比較的新しいので購入しやすいのですが、Diorのアイテムは状態が良いものを仕入れるのはかなり難しいかと思います…!
ただ、名作たちを見ることでどんなアイテムをエディスリマンが出してきたのか分かるかと思いますので、ぜひ、参考にしてみてください。
3-1 【Dior】デニムシリーズ
Diorの名作と言えばやっぱりデニムです!
メンズジーンズでスキニーなデニムを世に広め、エディスリマンの名前を大きく広めることが出来ました。
当時のアイテムは未だに人気が高く、中古品で10万円以上の価格で取引されております。
◆ジェイク
出典:楽天市場
◆コンバイン
◆赤さび
名作と言われるのは
- 赤さび
- コンバイン
- ジェイク
の3つのアイテムが特に名作と言われております。
どれを見てもシルエットがカッコいいですよね。
Diorの名作デニムの流通量はとても多く、現在でもまだまだ入手は可能です。しかしもう10年以上の前のアイテムになるので、状態には期待しない方が良いでしょう。
3-2【サンローラン】デニムシリーズ
続いてはサンローランから、“デニムシリーズ”です!
またもやデニムなのですが、エディスリマンと言ったらデニム!これは恐らくCELINEに行っても変わらないです…。
サンローランのデニムはどのようなアイテムなのか3-1と比べながら見てみてください!
◆デストロイ
◆コーティング
◆スキニー
シルエットもデザインも結構違いますよね。
デストロイはかなりダメージが入っているデザインで特に名作と言われております。
エディスリマンがサンローランのデザイナーに就任してからはDiorのデザインよりもロックになって、個人的にはかなり好きです。
また、サンローランのデニムはストレッチ生地が使われているのもあり、某男性ダンスユニットを担当している振付師の方はかなり愛用しているようです。
3-3【サンローラン】ジャケット
エディスリマンについて少しでも知らない方でもサンローランの名作を聞かれたらジャケットと答える人は多いかと思います。
サンローランのジャケット(個人的にはライダースジャケット)は特に印象深く、ここからサンローランに出会ってハマって言った人も多いかと思います!
ジャケットは4種類アイテムがあるので、順を追って見ていきましょう。
◆スモーキングジャケット
◆スカジャン
◆テディ
◆L01 ライダースジャケット
日本を代表するアイテムであるスカジャン、テーラージャケットのようなスモーキングジャケット、ストリートアイテムとして人気なテディジャケット、そして名作として語り継がれていくL01ライダースジャケット。
ライダースジャケットはエディスリマンの中ではどの作品も名作として語られているのですが、L10は別格のジャケットです。
今までのライダースジャケットと言うとアメリカンなバイクにまたがった屈強な男が来ているような印象だったライダースジャケットですが、このアイテムはかなりスキニーでシルエットがカッコよく、かなり人気が高かったアイテムとなります。価格は60万円前後とかなり高い金額ではありますが、長く使えて上部なライダースジャケットが欲しいという方にはかなりオススメなアイテムです。
3-4【サンローラン】ブーツ
最後はブーツです。
実はエディが考案したわけではなく、トム・フォードがデザインしたアイテムです。
そのアイテムをエディスリマンがデザイナーに就任した際に再デザインし、ブレイクが起こりました。
◆ワイアット
◆ハーネスブーツ
今では普通に見るヒールブーツですが、サンローランが流行らせたといっても過言ではありません。
もともと男性向けのシューズというと革靴のヒールでも高いヒールのアイテムはほとんどありません。しかしサンローランのヒールブーツではヒールが6cmのものもあり、男性アイテムの中でも特に珍しいアイテムです。
そして、ヒールブーツを履くことにより、スキニーな男性はさらにシルエットがカッコよく見えるので、サンローランのアイテムでそろえるとかなりカッコよく決まります。
細身な男性をかなりカッコよく魅せるアイテム、それを生み出しているのがエディスリマンなのです。
名作としてアイテムをご紹介させていただきましたが、中古品であればある程度安く購入できる商品も結構あるので、ご興味がありましたら、弊社のショップを見てみてください。
4 これからのエディスリマンが作り出すセリーヌの世界感
人物とアイテムが分かったかと思うので、最後に現在のエディスリマンがどのような革命を起こしたのかご紹介させていただきます。
これからエディスリマンがどのような動きをするのか、どんなデザインを出しているのか分かるかと思いますので、今のエディスリマンを知りたい方は最後までお付き合いください。
4-1 CÉLINEからCELINEにロゴ変更!
まず初めに行ったことはロゴの一新です。
CELINEのÉではないロゴマークは実は1960年代にCELINEの創設者により作られていたデザインなのです。エディスリマンはCELINEのクリエイティブディレクター着任するときのインタビューで『前任者のデザインを真似するようなことはしない』と言っておりました。このロゴ変更はセリーヌの新たなスタートと創設者のセリーヌ・ヴィピアナをリスペクトし過去を重んじて作ったロゴです。
CELINEは元々メンズコレクションがなかったこともあり、ブランドイメージを新たに作りたく変更したのもあるでしょう。
4-2 メンズラインを開始!ロックテイストなセリーヌを発信
CELINEはウィメンズブランドとして名前が売れているブランドです。
プレタポルテ事業はウィメンズしかなく、メンズコレクションはエディスリマンが初めて担当をします。
実際にどのようなアイテムが販売されたのか、コレクションを見ていきましょう。
何度も言いますが、とてもロックなスタイルでサンローランやDIORを彷彿させます。
ブランドに染まらないエディスリマンだからこそ成せる技ともいえますが、ここまで突出しているのはすごいですよね…笑
まとめ
エディスリマンの生い立ち、歴史、アイテム、現在をご紹介させていただきましたが、いかがでしょうか?
天才、鬼才、秀才、革命、大物などいろいろな呼び名があるエディスリマン。
そのロックなスタイルは16歳の自分で服をリメイクし始めたことから始まり、ロックなスタイルを貫くことでファッション業界に大きな衝撃を与えてきました。
今後のエディスリマンはCELINEと言うウィメンズブランドでの挑戦になりますが、エディ節を利かせることで必ず成功すると思います。今後も目が離せないですね。
コメント