サンローランの歴代デザイナー3選!モード界の帝王の歴史も紹介

サンローランと言えばファッションに興味がある方なら一度は聞いた事があるブランドではないでしょうか。

又、聞いた事がない方は、イヴサンローランはご存じではないでしょうか。この同じサンローランをネームに持つブランド。

関係があるの?と疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか。実は、このイヴ・サンローランとサンローラン実は同じ起源であり、サンローランになるまでに様々な出来事を得て、サンローランになっています。イヴサンローランの歴史は古く、設立は1966年のパリで産声を上げました。

創設者は、ブランドネームであるイヴサンローランです。イブサンローラン(以下:イブ)はフランス出身のファッションデザイナーであり、20世紀のフランスのファッション界を大きくリードしたデザイナーの一人です。同時期には、今でも絶大な人気を誇るラグジュアリーブランドのデザイナーが多く、ココ・シャネルクリスチャン・ディオールポール・ポワレなど名だたるデザイナーが多くいました。

そんな中、イヴは2002年の自身の引退までトップデザイナーとして40年に渡り活躍し、『モードの帝王』と呼ばれることとなります。そんなイヴが立ち上げた、イヴサンローランにはのちに大きな飛躍をするカリスマデザイナーが多く所属します。創業から53年経った今尚躍進を続けるイヴサンローラン。2012年にサンローランにブランドネームを変えますが、変更後も更に大きな躍進を続け、多くのファッショニスタに愛される老舗のブランドです。今回は、そんなサンローランでも創設者のイヴを始め、現在までに注目を集めるデザイナー2名をご紹介していきたいと思います。

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創設者イヴサンローランという人物とファッション界に与えた影響

20世紀を代表するデザイナーイヴサンローラン。彼が残した功績は、ファッション界にはもちろん、社会に与えた影響も数多くあります。今現在の多くのデザインの原型になったデザインや、シルエット。男女差別や、人権問題。多くの社会的問題に対しイヴはファッションという独自の武器を活かし向き合っていきます。そんな彼の功績を称え美術館や、彼の半生を描いた映画も数多く作られています。

この章では、イヴサンローランがどの様な人物で、彼が残した有名なデザイン。また、引退するまでをお話できればと思います。

幼少期に磨いた感性!学生時代にはコンクールを数々受賞

イヴ・サンローラン(以下:イヴ)は、フランス領アルジェリアで生まれ、両親はファッションとは関係のない、保険会社で働く両親はりと裕福な中流家庭に生まれます。幼少期をアルジェリアで過ごしたのち、パリに両親の仕事の関係で引っ越します。

名家の育ちで、不自由なく育ったイヴは、幼い頃から美しいものが好きだったようで、流行に敏感な母親がカクテルドレスや、アクセサリーを選び装飾している姿を近くで見る事が好きだったようです。

そんな幼少期、いつしか母親の着るドレスに自分の意見を言い、わざわざ着替えさせていたようです・・・

幼い頃から自分の美に対する考えが確立されていたのでしょう。もちろんファッションに強く興味を持っており、17歳でパリのシャンブル・サンディカル・ド・ラ・オート・クチュール ファッションデザイン学校に入学します。(同学校)は高い教育をしている事で有名な学校であり、卒業生には多くの有名デザイナーがいます。

日本人ではイッセイ・ミヤケが(同学校)の卒業生です。モード専門の学校であり、イヴの今後を大きく左右する選択肢でした。

イヴは、学生の頃から才能を発揮し、デザインコンクールでカクテルドレスを出品し最優秀賞を受賞しています。

他にも7つある部門で、イヴは3部門も受賞してしまうほどの実力と才能を持っていました。

このコンクールでのコート部門の受賞者はフェンディやシャネルで『皇帝』と呼ばれたカール・ラガーフェルドです。参加者が現在の名だたるブランドのデザイナーばかりなのもこのコンクールの質の高さがうかがえます。そんなコンクールで3つも受賞してしまうイヴの才能は際立って目立っていたのでしょう。

ディオールとの出会い。若干21歳でディオール主任デザイナーに抜擢

このコンクールがきっかけで、現在も有名なファッション雑誌『VOGUE』のディレクターのミッシェル・デブリュノフがイヴをクリスチャン・ディオールに紹介します。ディオールはイヴの才能を見抜き、すぐに自分の後継者にするべく育成を始めます。

1954年にクリスチャン・ディオールに入ったイヴ、ディオールから直接デザインの指導や、教育を受けながらその才能に更に磨きをかけます。しかし、その3年後、なんの前触れもなくクリスチャン・ディオールが急逝してしまいます。

クリスチャン・ディオール亡き後、1958年に若干21歳という若さでディオールの主任デザイナーに抜擢されます。当時のディオールは飛ぶ鳥を落とす勢いで若者から多くの支持を得ていました。

そんな、ビックブランドの主任デザイナーを若干21歳で任されたイヴはさすがとは思いますが、相当なプレッシャーと重圧があったのだろうと思います。

ただ、イヴは『トラペーズ』ラインと言われる分かりやすく言えば、今現在の『マタニティー服』の原型ですが、この当時のドレスには見られないデザインを発表し多くの若者の支持を得ます。革新的なデザインを発表したイヴに、翌日の新聞は、

『イヴサンローランはフランスを救った。偉大なるディオールの伝統は続きます』といった見出しをつけるほど称賛しました。

それほど革新的なデザインをイヴはこのプレッシャーの中、やってのけたのです!

激動の時代。軍徴兵で鬱・・・その後事実上解雇へ

若干21歳でディオールの主任デザイナーの地位を確固たるものにしたイヴですが、その栄光は長くは続きませんでした。

1960年イヴはフランスからの独立運動が激化していたアルジェリア戦争にフランス軍兵士として徴兵されます。

繊細でデリケートな神経の持ち主であったと言われるイヴは、軍での生活に適応できず間もなく心身に変調をきたし、パリ郊外の精神病院に入院してしまいます。同性愛者であったイヴは、軍の中で虐められ精神的にも肉体的にも衰弱していったそうです。

その間、ディオール社は、入院中のイヴの後任にマルク・ホアンをチーフデザイナーに起用することを決めます。精神的・肉体的にもボロボロなイヴに対し追い打ちをかけるかのように、事実上解雇されます。

伝統的で保守性を重んじていた当時のディオール社は、最初のコレクション以降、ファッション業界の暗黙のルールを破るような挑戦的なデザインをするようになったイヴに不快感を示すようになっていたのです。軍での生活や、数々のプレッシャーを感じ重圧を抱え続けていたイヴは鬱になり暫く活動を休止する事になります。

解雇~独立『モードの帝王』誕生

暫く休んだイヴは、ディオールを去っていきます。ディオールを去ったのち、徐々に回復したイヴは1961年に当時の恋人でもあったピエール・ベルジェと自身のメゾン『イヴサンローラン』を設立します。このピエール・ベルジェですが、晩年をイヴと共にします。

ブランド立ち上げの際は、経営など今までしたことのなかった二人ですので相当な苦労があったようです。

資金面でも苦労したようですが、アメリカの実業家マック・ロビンソンなどの支援もあり、何とか乗り切っていきます。

出典:FC2ブログ-さしあたりフランス在住

一時は大きな脚光を浴びていたイヴですが、様々な時代の流れや、陰謀的とも思われる解雇でディオールを去る事となります。

しかし、独立してから再度、自身のブランドで数々の革新的デザインを発表していきます。

現在のファッションの定番アイテムや、今でこそ当たり前と思う事は実は以前は当たり前ではなかった事が多いです。

代表的デザインを筆者の独断で5つに絞り写真と共にご紹介させていただきます。                                                                  

イヴサンローランの革新的代表的デザイン5

モンドリアンルック

出典:はてなブログ-硝子戸

モンドリアンルック

絵画からインスピレーションを得て、今までになかったデザインと発想でデザインされた服。現代アートをファッションに取り入れ、多くの注目を集めたデザインです。

 1966年 パンタロンスタイル

出典:はてなブログ-硝子戸

パンタロンスタイル
スカートが一般的な女性のスタイルだったものを一新!
女性のスカートに代わる普段着として提案したのがパンタロンスタイルです(パンツスタイル)

1967年 アフリカンコレクション
出典:はてなブログ-硝子戸

アフリカンコレクション
何度も何度も焼き直しされて、繰り返しやってくる流行っていくつもあるものですけど、その内の一つ、こういったエスニックスタイルを最初にストリートに放ったのもイヴです。

1968年 シースルー  

出典:はてなブログ-硝子戸

シースルー・サファリルック・パンタロン
女性の裸に対する肉体的差別をファッションで表現したのがこのシースルーです。1968年のシースルードレスは、女性の上半身が完全に透けて見えるという大胆なものでした。

 1968年 サファリルック

出典:はてなブログ-硝子戸

サファリルック
元々は狩猟服として男性に愛用されていたアイテムを、男女どちらでも着られるユニセックスな街着としてデザインし直したものです。ただこの写真のジャケット、ユニセックスどころかかなりセクシーな感じがしますね。

一部では御座いますが、このようなデザインを多く発表しています。創作意欲がとても高く、若い頃のインタビューで『2週間で1,000枚のスケッチを描いた』と自身で答えています。デザイン以外にもイヴはファッション業界では今までタブーとされていた多くの問題にファッションを通じ、貢献しています。

■女性の為のタキシードスタイル『スモーキング』の発表で女性のパンツスタイルを定番にした。 

■ランウェイで初めて黒人モデルを起用し多様人種の差別を批判。

■高級服ばかりだったショップに既製品を展開するショップを作る。

・・・など。現在では当たり前になっている事の大きな立役者です。特に女性のファッションの基盤となるデザインやスタイルを多く確立してきたデザイナーで、彼がいかにファッションにおいて重要なデザイナーだったかが分かります。

ほんの一部では御座いましたが、いかにイヴが現在のファッションに大きな影響を与えたかが分かるのではないでしょうか。

彼がいなかったら、現代のファッションの多くのデザインや、当たり前の事はなかったのではないでしょうか。

しかし、今では当たり前の事も、当然以前は当たり前ではなく、多くの批判や、賛否両論あったようです。

そんな苦悩も抱え、自身の思うファッション(美)に対し真摯に正面から向き合い、信念を貫いた偉大なデザイナーではないでしょうか。彼無くしてもちろんイヴサンローランはありませんでした。


イヴサンローランを救った天才デザイナーエディ・スリマン

サンローランのデザイナーでこのエディ・スリマン(以下:エディ)を欠かす事はできません。また、多くのファッションデザイナーの中でもイヴに負けない程、有名なデザイナーであり、現代のファッショニスタでもこのエディのファンは多くいます。ブランドではなく、エディのデザインが好きで、エディのデザインするブランドを着るといった方も多いのではないでしょうか。

ここからは、このエディがそういう人物で、イヴサンローラン、サンローランにどの様な革新をもたらしたかをお話できればと思います。

天才!独学で学んだデザインと類まれない才能でイブサンローランディレクターへ

エディが他のデザイナーと大きく違うところは、特に洋服づくりに関して、専門的な学校や教育を受けておらず、独学・実戦で学んだ事です。ほとんどの有名デザイナーが専門学校などに通ってコンクールなどでの功績を認められ、デザイナーへの道を切り開いていきます。そんな中、エディはルーブル美術学校で美術と歴史を学んでいました。服作りの経験と言えば、16歳の頃、自身の体系に合う洋服がないエディは自分で洋服づくりを始めます。独学での知識で自身の着る服を作ったのが彼のデザイナーへの第一歩です。

特にデザイナー志望ではなかったエディ。アートの世界に身を置きながら、様々なファッション業界の人との出会いを通じ、ジョゼ・レヴィで若くしてファッションディレクターを務めます。その後ジャン・ジャック・ピカール(LVMH)の下で働き、ルイ・ヴィトンなどの多くのプロジェクトにかかわります。

ジャンジャックピカールはフランスでは有名なファッションコンサルタントで、エディの他にもジルサンダーなど多くのデザイナーの才能を開花させています。そんなジャンジャックピカールの後ろ盾と、エディの才能もあり、エディは若くしてイヴサンローランのアーティスティックディレクターに任命されます。

(※アーティスティックデザイナー)とは、ファッションデザインだけでなく、広告・イメージ戦略・ショップ展開などブランドビジネスのトータル的なディレクションを行うポジションです。

ほとんど無名とも言っていいエディですが、このイヴサンローランでの3年間で名前を売ることになります。

ファッション関係者がエディの名前を知ることになるのもこの時期です。この時期のイヴサンローランでエディが担当したのはリブゴーシュ。大きな変革の時期で低迷していましたが、エディ就任後、その独自のシルエットで若々しくスタイリッシュに再構築し注目を集めます。

3年間をイヴサンローランで過ごしたエディですが、グッチによる買収でエディはイヴサンローランを去っていきます。

ファッション界に激震!カリスマの誕生!ディオール・オムでのコレクション

イヴサンローランを去ったエディは、その功績と実績を認められ、ディオール・オムのアーティスティックデザイナーに就任します。

ここからディオールの快進撃・エディ・スリマンの名前を世界が知る事になります。

この時期、エディはジルサンダーからのオファーも受けるほど人気デザイナーとなっていました。

エディはその独特のシルエットとデザイン、一貫したロックテイストでファッション界に大きな激震をもたらします。

今までのファッションに対する世間の価値観を一新するデザイン、特に男性のファッションへ大きな影響と変化を与えます。

エディのデザインを象徴するのが下記のアイテムではないでしょうか。

  • スキニーパンツ
  • レザージャケット
  • ナロータイ

上記、全て現在のファッションでは定番のアイテムですが、エディがディオールを担当する以前は、決して一般的なアイテムとは言えないものでした。

エディのデザインの特徴としては『極端に細いシルエット』です。自身が華奢と言う事もありますが、ロックやパンクに影響を強く受けていたのも一つの要因ではないでしょうか。フェンディやシャネルのデザイナーで有名なカール・ラガーフェルドがエディデザインの細身のシルエットのスーツを着るために50㎏のダイエットをした事はファッション業界では有名な話だそうです!

余談ですが、エディのスキニーパンツは独特の裾にクッションをためるロングレングスでデニムのヴィンテージファンをも唸らせる質の高いデニムだそうです。しかも、日本デニムの産地岡山県倉敷市産のデニムを使用しています!!

出典:Pinterest

革新的デザインと徹底したこだわりで多くの若者の支持をエディは得ていきます。名実ともにエディはカリスマデザイナーへの道を駆け上っていきます。因みにエディはディオール在籍中に世界的に影響を与え、ファッションへの功績を最も与えたデザイナーに与えられる『デザイナー・オブ・ザ・イヤー』も受賞しています!

カリスマへの期待!危機的イブサンローランディレクターへ就任

2001年から2007年までディオールでその類まれな才能をおおいに発揮したエディ。ディオールとは契約更新を交わさずディオールを去る事になります。エディの退任には多くのエディファンが悲しみの声を上げました。

エディはディオール退任後、デザイナー活動を一時休止します。多くの噂が飛び交う中、エディは以前から好きな写真(フォトグラファー)としての活動に専念する事を表明します。エディは小さい頃から話すのが苦手で、写真は自分を表現する一つの手段とも語られていました。そんなエディが撮った作品です。

出典:GXO

モノトーンにこだわっていた作品を撮っていたエディらしい作品です。デザイナーとしては勿論、フォトグラファーとしての作品の評価も多く得ています。多才で羨ましい限りです・・・

そんなエディがファッション業界から身を引いている間、古巣であるイヴサンローランは長く低迷の時期が続きます。多くの革新的デザインや、若者に支持され時代の象徴を作り上げてきたイヴサンローランの姿はありませんでした。

そんな中、ファッション界に大きな衝撃が走ります。エディが再びファッション業界に戻ってくる!!このニュースは大きく取り上げられ、

業界のみならず、数多くの若者や、エディのファンであったファッショニスタからも期待の声が上がりました。

2012年・・・エディがイヴサンローランのクリエイティブ・ディレクターに就任!!

 モード界に不死鳥のごとく蘇ったエディは、長きにわたり低迷していたイヴサンローランの再建を任されることになります。

YSLのYを排除!!エディが起こした改革とサンローランの復活

エディがイヴサンローランのディレクターに就任し大きく着手したのがブランディングです。

これまでブランド名、『Yves Saint Lauren』を『SAINT LAURENT』に変えてしまったのです。この変更には賛成や反対もありました。賛否両論ある中で、エディは断固としてこの意見を通し、イヴサンローラン復活への活路を見出していきます。

その他にも、エディが起こした改革は多くあります。

  • 既存のラインナップの変更
  • デザイン拠点をパリからロサンゼルスに変更
  • キャンペーン写真・広告はフォトグラファーでもあるエディ自身が全て撮影
  • 高級ラインの復活

など様々な改革を推進していきます。エディ就任以前は、イヴサンローランはグッチ(ケリング)買収後、ライセンスビジネスに専念していたため、全盛期の頃とは全くと言っていいほどファッションの印象はなく、景品でもらうタオルや、スリッパ、タオルの印象が強い方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そんなイメージも一新する改革を行い、多くの若者を熱狂させます。もちろん、エディのサンローランのコレクションは日本の多くの若者にも影響を与え、芸能人にも多くの愛用者がいるほどです。

エディは就任後、多くの改革を進めてきました。最初はエディの起こす行動に多くの上層部は眉をひそめました。しかし、エディは実績という形でその実力を示します。

前年比30%増!!エディは見事低迷していたサンローランを復活させたのです。

見事復活を果たし、大きな成功と改革を成功させたエディ。しかし、またもや2016年多くの人に惜しまれサンローランを去ります。

多くのファッショ二スタを虜にしたコレクションアイテム

見事に低迷していたイヴサンローランをサンローランとして復活させたエディ。ファッショニスタにも愛用者が多く、今尚エディが手掛けたサンローランのデザインは人気があります。そんなエディが手掛けたサンローランでのコレクションアイテムをご紹介させて頂きます。

【ライダースジャケットシリーズ】

■L-01 レザーライダースジャケット

出典:mensfashion-brand.com

こちらのL-01 レザーライダースジャケットはエディコレクションの中でも代表作ではないでしょうか。多くの芸能人も着用しております

有名な方で言えば木村拓哉さんやG-DRAGONさんが有名です。

■L17 モーターサイクルジャケット

出典:mensfashion-brand.com

【スキニーパンツ】

出典:mensfashion-brand.com

 

文章中でもご紹介しましたが、エディ=スキニーパンツではないでしょうか。

そのシルエットに魅了された多く、ファンが今も好んで履くパンツです。

【2016年SSサンセットパームツリーテディジャケット】

スカジャンのようなサテン生地で作られており、一時期ハイブランドでスカジャンブームが起きました。その際に注目され多くのファッション好きに愛され発売しすぐに完売したアイテムです。

【クラシックワイアットハーネスリングブーツ】

出典:SHOPPERSPLUS

13AW コレクションから発表され定番のリングブーツです。多くのサンローランファンに人気のあるブーツで、定番のモデルとなっております。

エディのほんの一部のコレクションですが、いかがでしたでしょうか。一つ一つのアイテムへのこだわりを非常に感じ、多くのファンが付くのも納得です。このようなロックテイストで、細身のシルエット。徹底的にエディは時に流行とは逆行するようなデザインでもコレクションとして発表し、その信念で多くのファッショニスタを虜にしてきました。サンローラン復活の影にはこのようなエディ自身のファンが多かったのも成功の一つではないでしょうか。


サンローランのこれからを担う男アンソニー・ヴァカレロ

多くの伝説を残し、歴史的にも名前を残したエディ・スリマン。サンローランと言えば=エディ・スリマンという方が大半だと思います。そんな中、エディはサンローランを去り、新クリエイティブ・ディレクターにはアンソニー・ヴァカレロ(以下:ヴァカレロ)が抜擢されました。1982年生まれのヴァカレロは、ベルギーでイタリア人の両親に育てられます。思春期の頃にファッションに興味持ちだしたヴァカレロは、ファッションの道を志すこととなります。ベルギー国立ラ・カンブル視覚芸術高等専門学校を卒業したアンソニーは、イエール国際モード&写真フェスティバルの大賞の受賞。これを機に若きデザイナーとして注目を集めます。そんな中、伝統的で、最も難しいとされるサンローランのデザイナーに抜擢されたヴァカレロ。ここからは、これからのサンローランを担うヴァカレロについてお話していきます。

出典: マカラボ

ファッション界の重鎮!カール ラガーフェルドに認められた才能

ヴァカレロはその才能を高く評価され、フェンディで自身のキャリアをスタートさせます。2008年には自身のブランドでもあるアンソニー ヴァカレロもスタートさせます。フェンディではファッション界の重鎮とも呼ばれる、カール・ラガーフェルドにその才能を認められ、フェンディのアイコニックともいうべきファー部門に配属されたヴァカレロは、カール・ラガーフェルドから直接指導を受けたこともあるほどです。

多くのデザイナーを抱え、更に全員が優秀なデザイナー集団のビックメゾンで注目を集めていたほどなのでその才能は確かなものだと思います。そんな中、2015年にイタリアのビッグメゾンである、ヴェルサーチからクリエイティブ・ディレクターの話が舞い込みます。

そのままヴェルサーチのクリエイティブ・ディレクターに就任し、大きく名前が売れる事となります。2016年ヴェルサーチを退任すると同時にエディの後任として、サンローランのクリエイティブ・ディレクターに就任します。

世界のファッショニスタが注目!アンソニー・ヴァカレロによるサンローラン

エディが去った後のサンローラン。非常に重要なポジションを任され多くのファッショ二スタも注目しています。ヴァカレロがこれからのサンローランについて受けたインタビューが掲載されてましたのでご紹介します。

VOGUE抜粋)

このファッションブランドの偉大な遺産をコピーするようなことはしたくないと、就任当初から思っていました。私にとって、ここでの仕事は服を作ることではなく、ヴィジョンをまとめ上げることなのです。

サファリジャケットや素肌にトレンチコートを纏うスタイル、ドット模様やその他のイヴサンローランがいたころの記憶を呼び起こすようなコレクションを提案するのは簡単だけど、ありきたりですよね?だから、私は服そのものよりも、本質について語りたいと思ったのです。

そういうわけで、自由、官能、自信、シックという4つの基本的なコンセプトに全力を傾けました。サンローランでの計画は立てていません。これまでの経験から、計算された計画よりも、自分の直感に従って動き、仕事をすることを学びました。

今だって、計画したわけでもないのに、サンローランで働いていますからね。ここからどこへ向かうのかは、私にもわかりませんが、一つだけ確信していることがあります。それは、モダンで自由で、シックで官能的なヴィジョンを築き上げることと、その夢を描くことが、イヴサンローランの遺した偉大な財産をリスペクトし、解釈するベストの方法だということです。

引用:VOGUE

多くのファッション関係者が今後のサンローランに注目し、ヴァカレロがどの様なデザインやコレクションで多くのファッショニスタを注目させるのかが非常に注目されています!!

最後にヴァカレロのサンローラン2020SSのコレクションをご紹介します!

エディがサンローランで築き上げた伝統と自身が得意である女性のラインをうまく掛け合わせたコレクションになっています。

世界のファッショニスタが注目するプレッシャーの中、ヴァカレロはコレクションを成功させました。

これからのサンローランには大注目です!!

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サンローランの歴史を築き上げたデザイナー

ファッション業界に多くの革命や革新的デザインを送り出した『イヴサンローラン』イヴサンローランの歴史を大きく変えた『エディ・スリマン』エディが去った後、大きな注目とプレッシャーを抱えながらこれからのサンローランをけん引する『アンソニー・ヴァカレロ』多くの優秀なデザイナーを輩出するサンローラン。

これからも想像がつかない位のデザインや、コレクションを作りあげてくれるのではないでしょうか。

多くの伝統と文化を継承しつつ、新たに革新的なデザインをこれからも発信し続けてくれるサンローランには是非注目して頂ければと思います。

又、数々のブランドがあるかと思いますが、歴史や、デザイナーの人柄などを知りより、好きなブランドを好きになる事もありますので、気になられた方は調べて見るのもおすすめです。

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