90年代一大ムーブメントを席巻したストリートスタイルとモードスタイルさせた融合スタイルである”裏原系”。
裏原系を牽引し、その代表ともいえるブランドがUNDERCOVER (アンダーカバー)でした。
”裏原”とは裏原宿の事で、当時、明治通り沿いの裏側に軒を連ねていた、ブランドやショップのウエアを着用するスタイルに事を指します。現在トレンドである、90年代スタイルはこの裏原スタイルをベースとしたストリートリアルクローズを意味します。裏原ブランドの中心であり、90年のユースカルチャーを牽引したアンダーカバー。東京発の元祖ユースカルチャーブランドのアンダーカバーは、今ではパリコレでショーを行うランウェイブランドへと昇華しました。熱狂的なファンを世界中に持つ唯一無二の存在感を放つアンダーカバー。日本の裏原系、ストリートカルチャーの一時代を創り上げたアンダーカバーというブランドがどのように作られ進化していたったのか。またアンダーカバーが牽引した裏原、ストリートカルチャーとはどの様に創られ、現在もどの様に影響を及ぼしているのかというところに迫ります。
目次
Tシャツブランドから世界の舞台へ!アンダーカバーの誕生とそのデザインのルーツ
皆さんはアンダーカバーというブランドはご存知でしょうか?
きっと聞いたことがない、知らないという方はほとんどいないのでは無いでしょうか。しかし今ではパリコレでコレクションを発表している世界的ブランドのアンダーカバーが、実は服飾学校の学生が、在学中に立ち上げた最初は手刷りのTシャツブランドだったということはご存知でしょうか?
この章ではそもそもアンダーカバーがどのようにして出来たのか、デザイナーの高橋盾(タカハシジュン)とはどういう人物なのかというところを見ていきたいと思います。
文化服装学院の学生時代に立ち上げたブランド
UNDERCOVER (アンダーカバー)は1990年に設立されたブランドです。創立者は現在のアンダーカバーのデザイナーである高橋盾と一之瀬弘法です。
二人は当時文化服装学院の学生でした。つまり学生だった二人がローンチしたブランドがアンダーカバーでした。
当時は手刷りのプリントTシャツをメインとしたブランドでした。高橋氏と一之瀬氏の手掛けるTシャツは、二人の友人の間で話題となり、生産が間に合わなくなるほどの人気を博します。
当時はインターネットやSNSなど皆無の時代です。口コミだけで爆発的な人気を誇ったアンダーカバーは、1991年の二人の卒業を機に本格的に始動します。
アンダーカバーの成功があり、90年代の所謂、裏原ブランドは、Tシャツからスタートする事が常となりました。今では珍しくないTシャツからブランドをスタートさせる手法もアンダーカバーが最初であると言えます。
トータルブランドを始める為の、資金を集める目的もあり、シーズンに関係なくコストの掛からないTシャツからブランドをスタートさせたと高橋氏は後のインタビューで語っています。
当時Tシャツをオールシーンズ置いてあるショップは少なく、コレクションブランドに関してはTシャツ自体殆ど置いていない状態でした。今ではオールシーズンTシャツを置くブランドも珍しくは在りませんが、これもアンダーカバーが変えたファッションの常識ともいえます。
アンダーカバーが登場する以前は、Tシャツをアイコンとするブランドは皆無だったと言っても過言ではありません。
アンダーカバーの登場は、日本のブランドの在り方を抜本的に覆し、ストリートブランドとモードブランドの境界線を曖昧にしました。
セックスピストルズに影響を受けたデザイナー「ジョニオ」こと高橋盾のルーツ
やはり「デザイナー」高橋盾を語る上で切り離すことが出来ない重要な要素、それが「パンク」です。高橋氏のクリエーションの源泉となっているこのパンクというカルチャー。
中学生時代からパンクに親しみ、特にパンクの象徴たるセックスピストルズから受けた影響は、ブランド設立当初から、Tシャツに留まらずライフスタイル雑貨までリリースしている現在に至るまでアンダーカバーのデザインに反映されています。
アンダーカバー以外にも、ストリートウェア業界では特定のデザイナーやブランドが特定のサブカルチャーに傾倒することが良く見られます。
例えば、STUSSY(ステューシー) のショーン・ステューシーは西海岸のサーフカルチャーをこよなく愛しおり、ステューシーはそこから始まりました。
またSUPREME(シュプリーム)のルーツはニューヨークのスケートボードカルチャーにありますし、A BATHING APE (アベイシングエイプ)はヒップホップのカルチャーをベースに人気を獲得、日本以外でも特にアメリカ、アジア圏で人気を博し急成長しました。
そしてアンダーカバーではパンクの精神、カルチャーにデザイナー高橋氏自身が多大な影響を受けており、その為アンダーカバーの洋服を制作する際の哲学は、「服ではなく、ノイズをつくる」また「見たことがあるようで、誰も見たことのない服を創りたい」というモットーに基づいて制作されています。
また当時の文化服装学院の後輩に当たる、BUNTY HUNTER(バウンティハンター)のデザイナー岩永ヒカル氏と東京セックスピストルズというセックスピストルズのコピーバンドを結成し、そのルックスがセックスピストルズのジョニー・ロットンに似ていた事から”ジョニオ”と呼ばれるようになります。
出典:MODESCAPE
そのようにセックスピストルズに強く影響を受けていること、本人もパンクの影響を非常に受けていると語るようにテイスト的にはパンクファッション的な要素がアンダーカバーのファッションにも見られますが、いわゆる王道のパンクテイストのファッションではありません。
何重にも重ねられたレイヤード調のものに、独特なカラープリント、フェミニンなスタイル、シャビールック(素材がボロボロのもの)などのデストロイ系のものなどテーマに合わせて様々な手法を試みており、マルタン マルジェラ、コム デ ギャルソン、ヴィヴィアン・ウエストウッドなどのデザインともやや共通するものがあります。
ちなみに最も影響を受けたデザイナーはコム・デ・ギャルソンの川久保玲(カワクボレイ)だと高橋氏は語っています。
盟友「GOOD ENOUGH」「A BATHING APE」と共に創り上げた上「裏原系」カルチャー
冒頭でも軽く触れましたが、現在のストリートファッションにも多大な影響を与え、90年代「裏原系」という一大カルチャーを作り上げ牽引したブランド、アンダーカバー。
そこに至るまでには、現在のストリートカルチャーの先駆者達との出会いがありました。
この章ではそんなアンダーカバーが牽引した裏原系カルチャーとストリートファッションについてまとめました。
原宿の裏通りという意味。1990年代に到来した裏原宿カルチャー
そもそも裏原宿とは。その意味は文字通り「原宿の裏通り」のことを指します。原宿から表参道までに至る道のうち、明治通りと青山通りに挟まれた区間の裏路地にあたる一帯のことを指しており、この地域から発信されたファッションを中心とするカルチャーを「裏原系」などと総称します。
裏原が一躍脚光を浴びたのは、1990年代のことです。
原宿~表参道エリアには若者向けの大手セレクトショップなどが乱立する中、竹下通りや表参道沿いの高いテナントでは出店できない若きデザイナーたちが、裏原宿に店を構え始めます。
その中で象徴的なものが、アンダーカバーのデザイナー高橋盾とA BATHING APE(アベイシングエイプ)デザイナー、NIGO(ニゴ)が中心となりオープンした伝説的セレクトショップ『NOWHERE(ノーウェア)』です。
このショップは、後にストリートシーンを席巻する数々のブランドの発信地ともなりました。
パンクミュージックやヒップホップ、バイクやスケボーなどといったストリートカルチャーを核にした裏原宿独特のスタイルは、徐々に当時の若者の支持を集め、爆発的なムーブメントへと変わっていったのです。
同じ時代を共に造りあげたキーマンのと出会い
そんな裏原宿のカルチャーを作り上げたキーマン達は、文化服装学院、また新宿にあったツバキハウスというディスコ(今でいうクラブ)で開催されたイベント等を通じて出会いました。
その中でもツバキハウスで大貫憲章氏が主催していた「ロンドン・ナイツ」、この音楽イベントを通じて、様々な人との繋がりが生まれ、
そしてそのような場所で出会った人達がつながりを深め、ファッションという形で裏原宿というムーブメントが生まれました。
当時において、感度の高い音楽やファッションを好む若者は少数派でした。高感度を求めるマイノリティが限られた遊び場に集い、濃度の高い場所から生まれたカルチャーが裏原系カルチャーでした。
① 藤原ヒロシ
まず1人目のキーマン、原宿カルチャーやユースカルチャーの先駆者であり、GOODENOUGH(グッドイナフ)のデザイナー、ファッションとカルチャーを融合させた人物である藤原ヒロシ。
裏原ムーブメントの火付け役であり、90年代のユースカルチャーのベースは藤原氏が構築したものといっても過言ではありません。
90年代スタイルは藤原氏が創り上げたスタイルでありカルチャーでした。ロンドンから帰国後、今では当たり間のDJを日本に広めた先駆者でもあります。
② NIGO
また後にA BATHING APEを立ち上げる2人目のキーマン、NIGO。
彼は文化服装学院の高橋氏の一つ下の学年で、在学中に出会いました。
後にA BATHING APEを立ち上げこちらもアンダーカバー同様世界的な人気ブランドへ成長させ、今も尚ストリートファッション業界で高い影響力を持っています。
裏原はここから始まった。オープンさせた伝説のショップ「NOWHERE」
高橋氏は、NIGO氏と共に1993年、NOWHEREを明治通り沿いの一本裏にオープンさせます。
理由は納得する卸先がなかなか見つからなく、それなら自分の店を持てばいいとのアドバイスによりオープンに至ったと言われています。
NOWHEREがオープンする事で、裏原カルチャーが本格的に開始します。
出典:Sumally
ちなみにNOWHEREという名前自体は、高橋氏とNIGO氏の愛するビートルズのNowhere Man (ノーウェアマン)の歌に由来し、店名に使用されました。
この場所を選んだ理由は原宿でありながら家賃が安かった事が大きいと言われています。
裏原と言う言葉は、NOWHERE以降生まれた言葉で、今では、90年代のカルチャーやファッションを語るには欠かせない言葉となりました。
NOWHEREにはアンダーカバーとNIGO氏がバイイングしてきたアメリカ古着が並びました。当時NIGO氏はまだ、ファッションライターや、スタイリストとして活動している時期で、A BATING APEはまだ発表されていませんでした。
5坪ほどの小さなセレクトショップは、高橋氏とNIGO氏の友人でいつも賑わっていました。
「殆ど休みもなく遊んでいるような感覚だった」と当時の事をNIGO氏はインタビューで答えていました。
接客も殆どしない異色ともいえるショップのNOWHEREは、その場所に行くことが若いファッション好きな層の間でのステータスとなりました。
「一見さんお断り」のような雰囲気が漂うNOWHEREは、媚びない90年代のファッションやカルチャーを体現したようなショップでした。
そのような小さいショップに連日多くの人が訪れ、1年足らずでNOWHEREは原宿で最も忙しいショップとなります。
このようにNOWHEREのオープンをきっかけに裏原系カルチャーは誕生したのです。
世界中が再注目。アンダーカバーをはじめとしたストリートモードブランドの過去のアイテム達
近年アンダーカバーをはじめ、他にも様々なブランドの過去のアイテムが「アーカイブ」アイテムとして世界中で最注目されています。
この章では、どのようなブランドのアイテムが、また何故今そのようなアーカイブアイテムが何年もの時を経て再注目されているのか。というポントから見ていきたいと思います。
ヒップホップ古着から火が付き始めたアーカイブブーム
今でこそ90年代のTOMMY HILFIGER (トミーフィルフィガー)などを取扱っている古着屋は珍しくありませんが、以前まではまで日本では主流ではありませんでした。
ラスベガスの『FRUITION』(フルーション)、ニューヨークの『COAT OF ARMS』(コートオブアームス)、ロサンゼルスの『Round Two』(ラウンドトゥ)
等のショップでセレクトされた古着とハイブランドが一緒に並べられ、従来までのいわゆる古着屋とは違う見え方や価値観を生み出し、それが日本や世界中に波及していきました。
またそういったアーカイブブームの発端の理由として、ファッションアイコン、世界的インフルエンサーのカニエウエストの影響が大きいとされています。
カニエウエストが日本のブランド古着屋で自身のブランドであるYEEZY (イージー)の元ネタになるようなRAF SIMONS (ラフシモンズ)を大量に購入したという噂が出回ったあたりから、ストリートファッション好きの人達が90年代のRAF SIMONSに注目し始めました。
そこからMaison Margiela (メゾンマルジェラ)のようなブランドまで広がっていき、海外のクリエイターやアーティストはナンバーナインやアンダーカバー、A BATHING APEといった90-00年代の、当時の裏原系ブランドと呼ばれていたようなブランドに注目しています。
元ルイヴィトンのデザイナー、現在はDIOR (ディオール)のデザイナーであるキム・ジョーンズや、OFFWHITE (オフホワイト)、現ルイヴィトンデザイナーのヴァージルアブローなど、日本のストリートファッションに影響を受けている人達が世界のトップデザイナーになったというのも大きな理由の一つです。
加工技術の高いデニムが人気。アンダーカバーのアーカイブアイテム
そのように再び過去の作品に注目を浴びたブランド達ですが、まずはアンダーカバーの代表的アイテムを海外のファッションアイコン、アーティスト達の実際の着用写真と共に見ていきましょう。
出典:raddit
ASAP Rocky(エイサップロッキー)やKanye West(カニエウエスト)などのスタイリストやデザイナー、ファッションアイコンとして有名なイアンコナー。
彼が履いているデニムは2004年But beautiful (バウトビューティフル)期のアンダーカバーの通称「68デニム」と呼ばれるデニムです。
アンダーカバーのアーカイブアイテムの中でも高い人気を誇り、なかなか巡り合うことが出来ないアイテムです。
出典:GRAILED
ASAP Rocky(エイサップロッキー)、ASAP Bari(エイサップバリ)が特に有名なクルーであるASAP MOBの一員であるPlayboy Carti(プレイボーイカルティ)。
そのルックスからコレクショブランドのランウェイモデルも務める彼ですが、彼が着用しているデニムもアンダーカバーの2005年ARTS&CRAFT期のアイテム、通称「85デニム」です。いくつも重なったダメージ、リペア加工が特徴で発売当時の定価が85,000円というところから85デニムと呼ばれています。
名作はアパレル以外にも。復刻される過去のアイテム達。
過去発売されたアイテムでその人気により復刻されたアイテムをご紹介します。
出典:FullRess
2002年に発売されたアイテム、通称「ハンバーガーランプ」です。
その人気より2016年に復刻され、今も尚プレ値が付いているアイテムです。
2001年に発売された6連のウエストバッグです。アンダーカバー初期の人気モチーフの「サンダークロスボーン」が使用されています。こちらも2018年にFULL BK(フルビーケー)とのコラボレーションにより復刻されています。
2003年 SCAB期に発売されたパッチワークを多用したバックパック、ウエストバッグです。こちらも2016年に復刻版が発売されており、今でも高い人気を誇っています。
アンダーカバー以外で注目される裏原ブランドのアーカイブアイテム
NUMBER NINE
出典:depop
こちらもPlayboy Cartiが2002AWのナンバーナインのパッチワークロンTを着用しています。
ヴィンテージTシャツを30以上のパターンに分け、再構築した手間と技術のかかった特別な一品です。
こちらは現在某オークションサイトで20万円程の金額で取引されています。
近年NIKEとのコラボスニーカーが話題のファッションアイコン、Travis scott(トラヴィス スコット)も2004SSのナンバーナインのTシャツを着用しています。
A BATHING APE
出典:Pinterest
2000年代に発売されたKanye Westとのコラボスニーカー、BAPEの定番モデル「BAPESTA」です。
現在では20万円程のか価格が付いています。
高橋盾の生み出した名作アーカイブコレクション5選
前の章では各ブランド毎にアーティストの着用写真と共に、アーカイブアイテムを見てきましたが、この章ではアンダーカバーの歴代の代表コレクションを紹介していきたいと思います。
ビデオでのコレクション発表。スカルモチーフが人気1996SS『UNDER THE COVER』」
1995年に東京コレクションデビューをしましたが、このコレクションは東京コレクションには参加せず、ビデオ形式でのコレクションの発表を行っています。
スカル柄のテキスタイルが多用されており、現在でも人気の高いコレクションです。
出典:amazon
後のコレクションに比べこの時代のアイテムはまだどこかストリートテイストが反映されており、ビデオでのコレクション発表という手法もどこかアンダー具ラウンド感を感じさせます。
後にこのスカル柄のテキスタイルいアイテムはその人気より復刻されることになりますが、オリジナルのアイテムは今もオークション等で高値がつくことも珍しくありません。
パーツの交換で洋服の再構築が可能1998AW 『EXCHANGE』
各アイテムのパーツを取り外す事が出来、それれを組み合わせることで洋服に新たな価値を見出したコレクションです。
そのコレクションで出されたアイテムの各パーツにジップが付いており、他の洋服ともパーツ交換が可能であり、洋服を手にした方それぞれのオリジナルの組み合わせ方で洋服を楽しむことできるという斬新な提案はアンダーカバーならではの提案です。
出典:AXIS
だまし絵が特徴。1999SS『RELIEF』
このコレクションのテーマは「レリーフ(RELIEF)」といいます。
デニムやカーゴパンツなどを穿き込んで洗っていくうち、サイドやポケットのエッジがこすれて白っぽくなっていきますが、この現象を専門用語でパッカリング(アタリ)と呼びます
ポケットやボタンなど、洋服の構成要素を、洗い加工によるアタリの濃淡で表現し作られています。
生地が何枚も重なる服の構造に基づき、だまし絵のようにフェイクでアタリを表面に浮き上がらせたのがこのシーズンです。
取り付けられていないベルトや裏地、ポケットが、あたかもそこにあるかのように存在感を放ちます。
一度縫い付けたポケットやボタンをハズしてアタリを見せるという、細部にこだわった作りが人気の秘訣だったのではないでしょうか。
衝撃のパリレクションデビュー 「2003SS『SCAB』」
SCABとは瘡蓋という意味で、クラストパンクバンドの格好(継接ぎだらけのボロボロの洋服)を瘡蓋に見立て民族衣装をデザインソースにしたコレクションでした。
テーマにある「かさぶた」とは一枚一枚手作業でパッチワークされた生地で表現しています。
また使われている生地を1つ1つ破り、ぶら下げる等といったディティールを加えていきます。
パッチワークというのは1980年代中期からイギリスのアンダーグラウンドシーンで流行した「クラストパンク(Crsut punk)」からインスパイアされています。
そこにインドの民族衣装のエッセンスやガラムボール(インド発祥の鈴ような楽器)をモチーフとしたアクセサリーを縫い付けて使用しています。
全ルックにこのような途方もなく作業時間を要するコレクション構成で、高橋盾をはじめとするスタッフの制作作業は連日深夜、コレクション前日まで続きました。
その極限状態で完成されたアイテムはダークな印象を打ち出し、アンダーカバーを代表するコレクションになりました。
またこのコレクションでアンダーカバーはパリコレクションに進出し、世界中の人々を驚かせます。
邦題は「図画工作」。2005AW 『ARTS&CRAFT』※BUT期3シーズン目
BUT期と呼ばれるシーズンの3つのコレクションの中の最後最後のコレクションです。
「BUT BEAUTIFUL…」では3人の女性アーティストから影響を受けてコレクションを展開しました。「T BUT EAUTIFUL Ⅱ」ではチェコのシュルレアリスト、ヤン・シュバンクマイエルにオマージュを捧げたコレクションを展開しました。
上記の2シーズンで「BUT期」のダークな世界観を深めました。
そしてBUT期3シーズン目のこのコレクションでは久しぶりに自分の内側から湧き出るアイディアで服をデザインしました。
そのテーマが『ARTS&CRAFT』
このコンセプトを実現するために選んだアイディアは、「フェルトを切り貼りした服」。
このアイディアは、自身の子供がフェルト製の人形で遊ぶ様子を見て閃いたとのことです。
アニマル柄、ストライプ柄、ボアなど、あらゆる物をフェルトで作っています。
このコレクションでは
- テーラードジャケット
- ライダースジャケット
- デニムパンツ
などの、いわゆる定番アイテムを多用しています。
「フェルトを切り貼りした服」という奇抜なアイディアが先行してしまうと思います。しかし既視感のある定番アイテムをベースに使うことで、デザインに安定感が生まれています。
このコレクションで使われた定番アイテムの中のデニムパンツですが
今ではアンダーカバーの中でも名作と呼ばれる「85デニム」もこの時のコレクションのアイテムです。
これ以外のコレクションも総じて独特のダークさ、混沌さ、アンバランスさというものが随所に感じられます。
冒頭で記載させて頂いた通り、ルーツであるパンクの精神、カルチャーによる反骨精神のようなものがこのようなデザインの根底にあるのです。
アンダーカバーのアーカイブは名作ばかり!
アンダーカバーの過去のコレクション、アーカイブと呼ばれるアイテム達、裏原宿カルチャーがどのようなものであったかという内容をご紹介させていただきましたがいかがでしたでしょうか。
本記事の要点
- アンダーカバーの初期はTシャツブランドとして誕生し、世界的コレクションブランドまで成長した。
- アンダーカバーはGOODENOUGH(藤原ヒロシ氏)、A BATHING APE(NIGO氏)といったブランドと共に裏原系というカルチャーを創り上げた。
- ファッションアイコン、世界的インフルエンサーの影響によりアンダーカバーを始めとしたブランドの過去のアイテムがアーカイブとして再注目されている
日本が誇るスーパーブランド、アンダーカバー。この記事を読んで頂き少しでも興味を持つきっかけとなって頂ければ幸いです。